石倉ヒロユキ
Hiroyuki ISHIKURA

1956
島根県松江市生まれ   
こののち18年間を宍道湖畔の城下町ですごす。城下町特有の「文化好き」プレッシャーで、11才でバイオリンと油絵を無理してはじめたが、すぐに挫折。 才能の限界を感じる第一歩だった。

1974
多摩美術大学絵画科入学。陰気な田舎を脱出、晴れて上京。 同期にはイラストレーター秋山孝、宮尾玲、などなどが在籍、 80年代イラスト黄金期へと続く。 絵本創作研究会副部長、のちに自分が本当に絵本を描くとは、夢にも思わなかった。

1978
卒業後は某きものメーカーのデザイン室に入社。   
和服の似合うデザイナーを志すも半年で退社。
その後も出版社系プロダクションなどてんてんとする。
就労及び団体行動に不向きのことを自覚。

1980

フリー宣言。リアル・イラストのブームにのせられて 、
当時創刊したNewtonなどに超写実的イラストを描く。

1984
蓮井幹夫(現在フォトグラファーMハスイとして活躍) 島田達彦(his代表取締役) とともに、霞町星条旗通りに「ビジュアル・プロジェクト・ヒズ」を設立。僕だけが仕事が無かったので、しかたなく経理担当だった。 帳簿や請求書の計算違いが続出、情けない日々。

1985
アウト・フォーカスのボケボケイラストを考案。
初仕事はチャゲの「島、島、島で夏しました」SPだった。この頃はCDではなく、まだレコード時代。

1986
his、麻布十番暗闇坂そばに移転 、ボケボケイラストで青山イネスにて初個展 。

1987
ビジュアル・プロジェクト・ヒズ取締役辞任、人生三度目の退社。
やはり団体行動不向きを立証、原宿コーポ・オリンピアに石倉ヒロユキ事務所開設。
広告を中心にバブルの追い風で仕事をこなす。個展活動もやたらと活発だった。
あの頃はよかったな〜という時代。

1992
渋谷区松濤に移転、社名を「(株)レジア」に変更。  
スタッフも増え、レコード会社、テレビ局のグラフィックを 中心にAD業に専念。
この頃、MACに遭遇、デジタルに手を染める。

1996

40代に突入を契機に、日本脱退を表明。
「ボク会社を辞めま〜す」突然の社長退社声明に社員呆れる。
しかし家族とともに、さっさとロンドン生活へ。

1997
ロンドンでは、二百カ所以上の庭を訪ね、園芸生活を堪能。三度の渡英にともない、
妻(真木文絵)といくつかの著作出版。絵本処女作「ポットくんのおしり」はいまだに試金石である。

1998

山中湖に「鯨の庭」着手。
標高千メートル、200坪の斜面に庭を造ることは
想像以上に手強い作業だった。
二ヶ月行かないと、すっかり野生に戻ってしまう庭に、 近頃では泣きがはいっている。

1999
「趣味の園芸」など連載エッセーが増えて、なにが本業か本人にも分からなくなる。

2000

渋谷レジアを解散。浜田山にアトリエを新設。
築30年の文化住宅、10坪の日当たりのよい庭を畑にして
20種以上のトマトを栽培。

2003
浜田山駅となり ビルに移転。
4階フロアーに屋上つきで、さっそく屋上庭園構想。
初のベランダ野菜栽培書「ベランダ菜園」を上梓。
一発芸のようなDIYを始める。

2005
屋上野菜栽培に悪戦苦闘。

2006

園芸、野菜栽培に続き、体内微生物がマイブームとなる。
「ウサ子の祝便ノート」は、ウンチの名著!